潮騒

日記

アデル、ブルーは熱い色

ツイッターに悲しみしか感じなくなったから、離れてみることにした。アンインストールしただけで少しからだが軽くなった気がする。膨大な言葉の数に目や頭が追いつかない。視覚を酷使して、雰囲気だけで判断している。
人の感情が唯一伝わってくるのは怒りだけだった。怒りは込めやすく、そして伝染しやすい。感情を少しずつ死なせていっていることに気づいてしまって、それなのに共感をしてほしくて、寂しさをどうにか埋めようとしていた。とても醜いことだと感じた。
感情や日常を細切れにして伝えて、共感を得てそれの何が楽しいのかわからないまま続けていた。本来はとても孤独だったのに、繋がることでしか自分を保てない、そんなふうに思ってしまっていた。


レンタルしたDVD「アデル、ブルーは熱い色」を観た。教師を目指しているアデルと、芸術の道を志す青い髪をしたエマとの恋愛物語。女性同士の愛を描いた映画を観るのは初めて。アデルの半開きの唇と、エマの髪と瞳がとても印象的だった。
アデルを見つめる時のエマの瞳と微笑み、あれは男の人だけがする表情なのだと思っていた。愛しいものを見るときの瞳、あれをわたしも知っている。とても綺麗で見惚れてしまった。2人ともすごく肌がすべすべしていた。2人の家の階級の違いだけが妙にリアルだった(アデルの家は、人を呼ぶときもボロネーゼを出す庶民的な家で、エマの家は人を呼ぶときには最高の生牡蠣と美味しい白ワインを出す)。

エマはずっと髪色が青だったら良かったのに。金髪になった代わりに、アデルの服装に青い色が少し増えたように感じた。
涙も鼻水もだらだらと流して愛を訴えるシーンがいちばんの見所。愛が壊れる瞬間はハラハラさせられる。エマはもっと冷静な人間だと思っていたけれど、胸のなかには熱いものを持っていた。

アデルは真っ青で美しい服を着てエマの個展に出向くけれど、多分青い服を着るのはあれが最後なのではないかと思った。愛する人の世界に、自分はもう居ることができないのだと確信させられてしまうどうしようも無さ。
青色がこんなに熱く、悲しく感じることは今までに無かった。

良い映画だったけど、エマがアデルをモデルにミューズを描いてる時に、アソコにモザイクがかかっていたのが残念でならない。

ストーリー関係なしに、映画を観て思ったことは、人との会話はもっとシンプルで良いんだということ。沈黙したっていいし、自分だけ喋り続けてもいいし、質問されて応える、応えたら質問するというような本当にシンプルなこと。

人のことは会話だけじゃわからないけど、深く知るには会話するしかなくて、何かそういうことをもっと気楽にやっていきたい。そう考えるとかなり身構えてしまうかもしれないけど。

 

喋って、食べて、眠って、セックスして、煙草を吸って、泣いて、笑って。
静かな日常で、人間的な映画だった。フランス語がとても耳に心地よかった。


DVDを返却して、2枚借りて、古本屋で小川洋子の小説とエッセイを買った。

 

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エマがとても格好いい。

 

 

アデル、ブルーは熱い色 [DVD]

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