潮騒

日記

自分の顔

雨が降って、外では猫同士が喧嘩している。母が剥くみかんの匂いが居間に漂い、皮の飛沫がテーブルに散る。

 

池田晶子の哲学エッセイを読んで色々と考えていたら頭が爆発しそうになった。考えることは楽しいけれど、考えることのない毎日はいかに楽か思い知る。

考えることを放棄すると、それは顔に出てくる。テレビに映る東京の若者たちの顔が揃いも揃って同じで、軽薄で、つらくなった。自分の顔が整って優れているとか知的だとかそんなことを言いたいんじゃなくて、むしろわたしの顔も充分軽薄に満ちていてすごくブサイクで悲しいからこそ、都会に居る人間に期待するけれど、どうして若いということはこんなにも悲しいのか。着飾ることばかりに意識が捕らわれて、自分の顔というものを多分あの人たちは知らないんじゃないだろうか。着飾ることをやめたらきっと自分の顔がわかる。そんなわたしはもう少し着飾ることを覚えたほうがいいけれど、それよりも今は読書や映画の世界に意識が捕らわれてしまう。

 

池田晶子の本、買って正解だった。哲学は物質だけではなく、非物質も相手にするから無限的で、突き詰めてもわからないことだらけだけれど、わかったふりしながらとりあえずは一通り読むことにする。読んで、自分で深く考えるということができる本はすべて良い本だと思う。