潮騒

日記

8/19

 

録画したNHKの「SWITCH」という番組に、女優のミムラライフネット生命を起業した出口浩明が出演していた。(3月3日の放送)

2人ともとても読書が好きで、聡明で柔軟で思慮深い印象を持った。たくさんの言葉と触れ、人と触れてきたからこそ滲み出る知的さ。

月に200冊なんてとても無理だけど、高校生のころは月に20冊くらいは読んでいた。それがいつしか1冊も読めなくなって、1年に2、3冊読めれば良いくらいになってしまった。それもただ活字を追いたくて読んでいただけ。人に話せるくらいに記憶してはいない。それでは読書の意味がないなと番組を観て感じた。本の内容を覚えるためには人に話していかないといけない。これは出口浩明の持論。確かにそうだと思う。内容を整理して初めて人に話ができるようになる。整理したものはそう簡単には忘れない。インプットだけでなくアウトプットが必要だと。ミムラは本に付箋を何枚も貼っていた。しかも色分けと長さ分けもしていた。知らなかったこと、ただ好きだと思ったことなどを色分けしているらしい。付箋を貼っている人はたまに見るけれど、あそこまで細かく分別して貼っている人を見るのは初めてで驚いた。この人は本当に読書を愛しているんだと伝わってきた。

今回の番組でおもしろいなと思ったのはミムラが言った「ものすごい毒を持っている良い人」という言葉。役を演じるにあたって、ただ良い人なのではなく逆の面、悪い面だとか表向きの面だけでない部分も深くしていかないことには成立しない。

わたしは、というよりわたし達は人の表面にばかり目を向けがちだけれど本当はそうじゃない。「あの真面目な人があんな犯罪をするなんて思わなかった」という言葉がしばしば聞かれるのは、わたしも含め大多数の人が人の表面の部分しか見えていないということなのではないかと感じた。真面目でおとなしい人だからって、悪い部分が無いとは絶対に言い切れない。善と悪は薄皮1枚。ほぼ表裏一体なのかもしれない。急に変わるのではなくて、元からその人が持ち合わせている自分。善も悪もどれも自分なんだ。それは一番自分自身がわかっているはずなのに、他人のこととなると「あの人はああだから」とか「あの人はこういう性格だ」とかそういう部分でしか分かろうとしない。それだとその人の本質が見えてこない。なかなか表じゃない部分まで知るというのは難しいことだけれど、その難しいことに挑戦しているのが役者なら本当にすごい職業だと思う。

出口浩明が言った「言葉は伝える手段としてではなく頭のなかで思考するための手段として発達した」というお話も発見があった。なにかと相手に伝えるためにどうすればいいのか、どういう言葉が有効かという書籍がよく出ているけれど、本来言葉は1人で思考するための手段として発達していったものなのだとすれば、まず思考できなければ伝えることもできないということになる。当たり前といえば当たり前なのだけど。思考するにはどうするか、それはいろんな本に触れ、人に触れるべきなのだろう。

今のわたしはもうインプットすることもできないと思って落ち込んでいたけれど、本当にそうだろうか。ただ単にインプットしようと思って触れていなかっただけなのかもしれない。姿勢の問題だったのかもしれない。からっぽならたくさん吸収できる。

またもやテレビ番組にちょっとだけ気持ちを救われた。