潮騒

日記

5/19

 

昨日は引っ越し先で知り合った友達と一緒に近所のオープンしたばかりのカフェに行ってきた。友達の車に乗って着いてカフェの扉を開けようとした瞬間に店員さんが中から出てきて「いらっしゃいませ」と元気よく挨拶してくれた。若くて可愛い店員さん。ちょっと緊張した。外装も内装もナチュラルで整っていて綺麗。ヴィンテージ風な木製のインテリア家具が温かみを感じさせる雰囲気の良いカフェだった。2階に案内されて、窓辺はカウンターになっていた。窓からは高架を走る電車が見える。夫が大の鉄道好きだから今度は夫と行きたいなと思った。私たちはカウンターの端っこを選んで、日替わりケーキを頼んだ。アールグレイの茶葉の香りと味がほっとするおいしいシフォンケーキだった。

 

友達とは出会ってからずっとお互いの悩みを話し合って共有している。どういった服が好きとか、音楽の話とかよりももっと深く、過去のこと将来のこと家族のこと恋愛のことなどの具体的な悩みを。向こうも私の悩みを嫌がらずに、むしろ、悩みはある?と聞いてきてくれた。出会って3か月も経っていないのに色んな表面的な話をすっ飛ばして聞いてきてくれた。そういう存在が住む場所を変えても出来るなんて思ってもみなかった。繋がるってすごいことだ。彼女は私にはないものをたくさん持っていて、きっと同じ学校の同級生だったとしたら私は彼女に嫉妬していたかもしれない。具体的な悩みを知らずにいたら、彼女も私と同じ人間で同じように悩んでいるんだということに気づかないままいたかもしれない。それぐらいにキラキラして見えるから。人は人と比べるとき、良いところしか見えないように出来ている。そういう出会い方ではなくてよかったと思った。タイミングって決まっているのかもなんて、そんなことを思わずにはいられないほどだった。この時はお互いにお菓子作りが下手くそという話題にもなった。彼女は見た目からするとすごくお菓子作りがうまそうで、趣味にしていそうなおしゃれで可愛い雰囲気だから意外だった。ずぼらだったり面倒臭がりだったり似ているところがあるなあと思った。彼女の抱える悩みがすべて解決していってほしい。

 

カフェはモーニングもあるらしいから、次に行くときはモーニングを頼みたい。

 

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4/22

 

同棲を始めて3か月後に彼と結婚した。6年も続けていたアルバイトを辞めて引っ越しの準備をして、彼のご両親に挨拶をして、引っ越しの手続きをして、引っ越しをして、両家の顔合わせの計画をして実行して、数日後に入籍した。婚姻届を完璧に書き上げるのにもすごく神経を使った。お互いの実家が離れているから親に会える機械がそれぞれ1日しかなかったり、本籍地が分からず謄本を取り寄せたりいろいろと慣れないことをした。結婚なんて紙にパパッと書いて提出して終わりだよと言っていた母を少し恨む。でももう過ぎたことだ。私は彼の妻になって、彼は私の夫になった。なんだかまだムズムズする。夫、妻という立場に。何をもって夫、妻という立場になったのか。結局は生活の延長線上に立っているだけで、何も変わった気がしない。良いことはもちろんあった。彼の親戚が優しくて良い人たちだったこと、祝福されたこと、彼との生活にも慣れて喧嘩の数が前より少なくなったこと、新しく友達ができたこと、お互いの悩みを話し合うことができたこと、毎回拙い料理だけれど前より楽しくなったこと。

 

今の悩みは、働きに出るのが怖くなっていること。外出自体は苦にならないし、楽しいと思えるのに「働く」となると身構えてしまう。気持ちを塞いでしまう。お金はない上に減るばかりで、焦りはあるのに前向きになれない。この思考をどうすればいいのだろう。求人票とにらめっこする日々。

 

 

12/20

 

付き合って4年目になる恋人と同棲を始めて明日で1ヶ月が経とうとしている。

ここに引っ越してきて驚きと喧嘩の連続だった。

人を感知して灯りのつく照明、3台のGoogleアシスタント、49インチのテレビ、2台のモニターがついたパソコン、タイル式のカーペット、スチーム付きのヒーター、リビングソファとして使っている新幹線の座席、お風呂とトイレの換気扇機能、バルミューダのオーブントースター、コーヒーメーカー、T-fal電気ケトル

実家とは何もかもが違う便利な家電たち。便利で嬉しいと思う反面、ああ、私はずいぶんと遠いところに来てしまったんだなと寂しくなってしまった。ここには寒い朝に灯油タンクのスポイトをじゅこじゅこ鳴らす母の背中や、机から物を落としまくりアラームより先に起こす愛猫もいない。こたつの中に埋まったリモコンを時間かけて探すことも、照明から垂れ下がる紐を真っ暗い部屋のなか探すこともない。不便だな、しんどいなと感じていたことは実は豊かな光景を見せてくれていたのだと思った。私は灯油ストーブの静けさが好きだったし、どういうことをすれば物を落とされないかを考えるのが好きだったし、リモコンを探したり、照明の紐を探る感覚も好きだった。

 

新しいものや便利なものが大好きですぐ機械に頼る彼と、自分でやれる範囲(電気つけたりテレビつけたり)のことは自分でやるという考えを持つ私で度々衝突した。自分の常識だと思っていたことが相手には通用しないということを、身に染みて経験した1か月だった。これからはここが私の家になるんだ。彼とも、家族になるんだ。

彼との生活を好きになれますように。今いる場所を私の場所にできますように。

 

 

2/22

 

○歳だからこうしなければならないという法律は無いのに、重たくのしかかる現実問題、あれこれ。私は自分の将来のことをまるで考えられなくて、目の前のことをやるだけでいっぱいいっぱいになる。4時間働くだけで死ぬほど疲れてしまうし、泥のように眠ってしまう。昼寝が全く心地よく無い。生きていく気力や意欲が日々削られて、小さくなっているのを感じる。人にも極力会いたくない。お腹は空くし、たらふく食べて満足する心も体もちゃんとある。なのにこうした暖かい春の空気に満ちた夕方、少しずつ夜に近づく手前の青い色を見つめていると、とても悲しくなる。死にたくなってしまう。苦しい。ずっと苦しい。

 

 

10/20

 

本屋で「死にたいけどトッポッキは食べたい」を立ち読みした。気分変調性障害を抱える著者による治療記録のエッセイ本。ページをめくっていくと、これは私のことなのではないのか?と思い、少し泣きそうになるのをこらえながら読んだ。明るくいられる(演じられる)けれど憂鬱を感じるという、幸福感はあるのに虚しいという、死にたくなるけどちゃんとご飯は食べるし求めているという、そういう中途半端な状態でも病気になりうるんだ、病名がつくんだと知ることができて気持ちが少し軽くなった。ものすごく明るい部分だけ、ものすごく暗い部分だけを見つめてしまうけれど、そうではない状態を見つめるのも大事なこと。すぐ落ち込んで死にたがる、これは私の性格なんだと思っていたけれどもしかしたら違うのかもしれない。靴下とお菓子と一緒に、御守りとして剃刀を買う思考は正常じゃないのかもしれない。金欠のため購入は見送ったけれど給料が入ったらちゃんと買って読みたい。

 

 

8/28

 

夏が近づくにつれ手帳は白紙の日が増えた。何も書くことがないわけではないが、書く気力が無い。世間では色んなことが起こりすぎて、整理して書き起こすことができない。殺人的な日射が言葉も心も乾かしていくようで、ただただそれをじっと感じているしかなかった。湿っているのは体だけだった。嬉しいこともたくさんあったけれど、嬉しいことほどよく思い出せない。

 

7/22

 

今朝の夢。男性とマクドナルドに行った。私は外で待つことになった。何がほしい?と聞かれたから私は店のガラス越しに「こぉうら」と、読唇術ができる彼に向かって口だけを動かして答えた。しばらく待つと男性はペプシコーラのペットボトルを持って店から出てきた。私はそれを飲んだ。本当の私は炭酸が飲めない。夢の中のコーラはコーラの色ではなく、苔むしたような緑色で、液体というよりジェルみたいにドロドロしていて一言で言うと「激マズ」だった。飲み物なのかすら分からなかった。でも夢の中の私は、「全然炭酸が強くなくて美味しい」と言った。嘘だ、あれは確実に激マズだった。男性と少し話をして最後に私は、「嫌いなわけではないけど自分では絶対買わないものってあるよね」と言った。目が覚めてからも激マズのコーラの感触と味が記憶に残っていて朝から体調を崩した。最悪だった。