潮騒

日記

nostalgic

朝早く起きるととても気分が良くなることをすっかり忘れていたみたい。スクランブルエッグもどきを作って母に半分あげた。昼間は掃除と片づけを少しした。掃除をするだけで1日がめちゃめちゃ充実するから、これはどこにも出かけなくても充実した休日を送れそうだ。発見。

お金をおろして中古ショップ行って、イタリアの人は日本人より年収が少ないがそれでも日本人より楽しく愉快に暮らしているという内容の本を立ち読みした。

イタリア人は小銭を大事にする。こどもと一緒に小銭をペットボトルいっぱいに貯金して貯まったらお金をその子の口座に預けに行くらしい。

それをすることによって得られる大事なことが書いてあったと思うんだけど、 忘れてしまった。

わたしも小銭を大事にしてる。小銭が無きゃ端数を払えないし。ジャム瓶に貯金もしてる。なかなか貯まらない。

本棚いっぱいに本が並べられている。ちらほらと、ぽっかり本の厚さくらいの隙間を目にする。きっとここに本が入っていて、誰かが買っていったのだろう。どんな本が入っていて、どんな人が買っていったのだろう。この隙間のことを思うだけですでに一冊の小説を読んだ気分になる。隙間は埋められることなく、そこから風が流れている。触れない本のことを考える。

日差しが強くて、暑かった。

背骨に沿って、汗がたらりと流れて、この感触が夏だということを思い出す。まだ梅雨にもなっていないのに、どうなってしまうのだろう。

夏はすべてがnostalgic。

 

「今日も夕飯つくってくれる?」と言われたので鶏肉のさっぱり煮を作った。

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じゃがいもは崩れてるくらいが好き。おいしかった。家族にも好評だった。

料理に対して、いろんな思いを持つ人はいるだろうけど、やっぱり料理は愛だなって、陳腐だけれどそう思う。

手に付いた鶏肉の匂いとか、べたべたする感じが嫌だけれど、それでも作る。家族のために、自分のために。

おいしくできると嬉しい。何より母が喜んでくれるから嬉しい。

自分だけのためにはこんな料理作ろうとは思わないだろう。きっと。