潮騒

日記

11/19

 

ツイッターで、ぼろぼろと思ったことをそのままの言葉で吐き出すことがなくなって、自分のなかに生まれた思いなどを大事にしようと試みている。吉井さんが言っていたように、スマホは自分の世界を狭くするっていうのは本当のことだった。もともと狭いのがさらに狭くなる感じ。一行の詩みたいでキラキラしていて感覚がゆれる良いツイートを見るのも好きだったけど、それすらもういいやと思った。自分の言葉というものを考えたとき、この本が読みたくなった。

 

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3年前、著者がジュンク堂のPR誌「書標 ほんのしるべ」のコーナー「著書を語る」に書き記したものによると、

SNSを見ればわかる通り、私たちは善悪是非をめぐるおしゃべりに忙しい。しかし、自分が何をどのように捉え、自分の放つ言葉がどういう意味を持っているか、についてさほど考えていない。言葉を話しても、それについては対象化していない。

と書いてある。自分の言葉について想像できなくなっている、生々しい言葉を話すことができなくなっている。こころで感じとるより先に口について出るあれこれ、頭で考えるより先にこぼれ落ちるあれこれを指先で操って、それで自分はちゃんと言葉を操っていると勘違いしていた。

概念の積み重ねの巧みさではなく、息をして歩み続ける私という身の丈から偽りなく言葉を紡ぐことができるか。

 

作家じゃないから(フリーターだし)大層なことも言えないしできないけど、人間であってコミュニケーションをとる生き物である以上はじっくり考えることも必要だと思った。読みたい本ばかりが増える。何も追いついていない。

 

ナボコフの「ロリータ」はやっと136ページまで読み進めることができた。主人公が最初の伴侶のことを「ラム酒漬けのカステラみたいな女」と表現しているところでは声をあげて笑い(ひでぇなと思ったから)、(おそらく)主人公が自分の陰部のことを「形容できない情熱のかくれた腫れもの」と表現しているところでは溜め息がでた。こんなふうに至るところで比喩表現が飛び出し、そのたびにちょっと止まってしまうから先に進むのが遅くなる。でもようやく面白い展開になってきた。最後まで読んだら感想を書く。

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